2009年06月19日

五界説はひとまず標準としての位置を保っている

五界説はひとまず標準としての位置を保っている。 しかしながら、近年、鞭毛根構造などの細胞内の微細構造や遺伝子の解析を通じて生物間の系統を解析する方法の進歩により、原生生物の中でも類縁関係の検討が進んでいる。また、細胞内共生説が想定していなかった、真核細胞間での細胞内共生の発見も大きな影響力を持っている。
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そうした中、キャバリエ=スミスは八界説を提出し、原生生物界をさらに三つに分けた。 それによると、褐藻植物を含む黄色植物などの藻類群は、真核細胞由来の葉緑体を持ち、さらに葉緑体を持たない卵菌類、ラビリンチュラ類とともに、鞭毛が前方に向かうマスチゴネマを持つ羽型のものと後方に向かう鞭型のものの2本がセットになっている点で共通し、これらが単系群をなすということで、さらに体制に共通点があるハプト藻類とクリプト藻類を合わせ、これをクロミスタ界として独立させた。また、微胞子虫を含むいくつかの単細胞生物はミトコンドリアを持たず、これをミトコンドリアが共生する以前の真核細胞生物の生き残りと判断し、これをアーケゾア界とした。残りの原生生物界のものは、原生動物界という名を与えている。ただし、アーケゾア界には疑問の声もあり、ミトコンドリアを持たないのは、二次的に退化したのだとの指摘がある。キャバリエ=スミス自身もその後撤回している。

2009年06月01日

平壌作戦

8月に清国軍は平壌に1万2千名の兵員を集中させる。9月15日に日本軍が攻撃を開始する。攻略に当たっていた日本軍の歩兵第18連隊長佐藤正大佐は銃弾を受け左足切断の重傷を負う。同日午後4時40分に清国軍は白旗を掲げて翌日の開城を約した。ところが、清国軍は、約を違えて逃亡を図る。同日夜に日本軍が入城する。

黄海上で遭遇した日清両艦隊は、9月17日12時50分に「定遠」から攻撃が開始される。日本側は連合艦隊司令長官伊東祐亨中将率いる旗艦「松島」以下8隻と第一遊撃隊司令長官坪井航三少将率いる旗艦「吉野」以下4隻であるのに対して、清国艦隊は丁汝昌提督率いる「定遠」「鎮遠」等14隻と水雷艇4隻であった。日本艦隊は、清国「超勇」「致遠」「経遠」等5隻を撃沈し、6隻を大中破「揚威」「広甲」を擱座させる。日本側は4隻の大中破を出し、旗艦「松島」の戦死者の中には勇敢なる水兵と謳われた三浦虎次郎三等水兵もいる。

この海戦で日本側が勝利したことによって、清国艦隊は威海衛に閉じこもることとなり、日本海軍は黄海・朝鮮の制海権を確保した。

10月25日払暁に、山縣有朋率いる第1軍主力は渡河作戦を開始した。日本軍の猛勢に恐れをなした清国軍は我先にと逃走を図り、日本軍は九連城を無血で制圧する。この作戦成功により、日本軍は初めて清国領土を占領する。

10月24日に大山巌大将率いる第2軍が金州に上陸する。11月6日に金州城を占領する。11月21日に、日本軍1万5千は清国1万3千弱に対して攻撃をする。清国軍の士気は極めて低く、堅固な旅順要塞は僅か1日で陥落することとなる。
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日本側の損害は戦死40名、戦傷241名、行方不明7名に対して、清国は4500名の戦死、捕虜600名を出して敗退する。

攻略そのものは問題なかったが、その後の占領において大きな問題が発生した。『タイムズ』(1894年11月28日付)や『ニューヨーク・ワールド』(同年12月12日付)により、「旅順陥落の翌日から四日間、非戦闘員・婦女・幼児などを日本軍が虐殺した」と報じられたのである。虐殺の有無や、虐殺された人数については諸説あるが、実際に従軍し直接見聞した有賀長雄は清国民間人の巻き添えが有ったことを示唆している。現在、この事件は旅順虐殺事件(英名:the Port Arthur Massacre)として知られている。

この事件は外交的に大きな影響をもたらした。当時はアメリカと不平等条約改正を交渉中の最中であり、この事件により一時アメリカ上院には条約改正は時期尚早という声が大きくなり、重要な外交懸案が危殆に瀕した。陸奥宗光はこのため『ニューヨーク・ワールド』に弁明せざるを得なくなる事態に陥ることとなった。

2009年04月29日

ケガレ忌避の論理

呪術的な信仰を求める大衆に対しての仏教の側からの浸透に対抗し、神祇信仰の側からも理論武装の動きが出てきた。

神祇信仰においては従来それほど顕著でなかった二極対立の考え方が発達し、清浄とケガレの二極が強調されるようになった。このため9世紀から10世紀にかけて、従来は祓いで済んでいたケガレ除去の方法が、陰陽道の影響もあり物忌み中心に変わってきていることが確認されている。

神祇信仰の論理性の強化は、仏教側からの侵食に対抗し、これと共生することを可能とした。10世紀末には、浄土思想にもケガレ思想の影響が見られ、往生要集などには本来の仏教の浄穢思想理解のための手段として神祇信仰のケガレを利用した論理が見受けられる。

浄土思想の普及は、ケガレを忌避する神祇信仰に対し、ケガレから根本的に離脱する方法を提示できる仏教の優位を示すこととなった。仏や菩薩を本地であると考え、その仏や菩薩が救済する衆生に合わせた形態(垂迹)をとってこの世に出現してくるという本地垂迹説は、このような仏教上位の状況下において仏教側から神祇信仰を取り込もうとする動きとも理解できる。絶対的存在としての仏や菩薩と、その化身である神という形を取ることにより、神仏の調和の理論的裏づけとしたのである。

また、このような仏教優位の考え方は、ケガレと日常的に接する武士の心を捉え、以後の八幡神信仰や天神信仰の興隆にもつながることとなった。

更に鎌倉時代になると本地垂迹説による両部神道や山王神道による大祓詞(おおはらえのことば)の密教的解説や、記紀神話などに登場する神や神社の祭神の密教的説明の試みが活発化し、いわゆる中世日本紀といわれる現象が見られるようになった。

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ただし仏教の天部の神々も元はヒンドゥー教の神であったように、日本だけでなくインドの地域社会や中国においても、それら土着民族の神々を包摂してきた歴史がある。仏教にはそのような性質がもともと具わっていたことが神仏習合を生んだ大きな要因であった。

2009年04月14日

大雪

大雪(たいせつ)は、二十四節気の1つ。12月7日ごろ。および、この日から冬至までの期間。

太陽黄経が255度のときで、雪が激しく降り始めるころ。十一月節。『暦便覧』では、「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説明している。

鰤などの冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色付くころ。

七十二候 [編集]
大雪の期間の七十二候は以下の通り。

初候
閉塞成冬(そら さむく ふゆとなる) : 天地の気が塞がって冬となる(日本)
鶡鳥不鳴(かっちょう なかず) : やまどりが鳴かなくなる(中国)鶡は{喝-口鳥}
次候
熊蟄穴(くま あなに こもる) : 熊が冬眠のために穴に隠れる(日本)
虎始交(とら はじめて つるむ) : 虎が交尾を始める(中国)
末候
鱖魚群(さけのうお むらがる) : 鮭が群がり川を上る(日本)鱖は{魚厥}
茘挺出(れいてい いずる) : 大韮が芽を出し始める(中国)

チルー オストメ ミモレ サイド ジャック プレクリ スコポフ きゅうてい スパイス ウフジ ラップ トーシュズ サイレン ノーカ キンセン チャイルド スター ホンコン デックス きゅう メトセク ルーキー バリヤー シュルレ フォトス フィブリン トリプタン ソユーズ ワゴン シェア すあわ ステージ ボケSEO ムルロ グルベド どふぇ ユニオ スマッ ブレテ アイス テーブル ファシズム 男船日本 未来地図 端玉アク シブシップ 長崎赤 ケイトウ モンゴ サイフォン

2009年03月30日

呼びかた

料理として主に焼き鳥を提供する店は、「焼き鳥屋」と呼ばれることが多い。焼き鳥屋は店内に焼き鳥を焼く台を設置してあり、客の目の前で焼いていることが多い。
料理として主におでんを提供する店は、「おでん屋」と呼ばれることが多い。おでん屋はしばしば店舗の形式ではなく屋台の形式で営業される。
焼肉店の中にも居酒屋の形式で営業をしているところもある。そういった店ではしばしば肉(筋肉部)よりもホルモン焼きを主として出す場合が見られる。
お好み焼きの看板が掛かっていても、ビールの看板も一緒に出ている店や夕方から深夜にかけて営業する店などはお酒を飲む店であり、「お好み焼き屋」でないことがあるので注意が必要である(お好み焼きを提供しない店すら存在する)。
店内に大きな炉を設置し、そこで焼いた料理を出す店は、「炉端焼き(ろばたやき)」と呼ばれることがある。炉端焼きでは、炉越しに料理などを渡すためにしゃもじを巨大にしたような特別な道具を使うことがある。
1人または2人の少人数で運営し、あまり大きくない店舗(しばしばカウンター席のみ)で営業している店は「小料理屋」と呼ばれることもある。特に、料理に凝ったものを用意している場合にこの名称が用いられる。
飲料として主にビールを提供することを目的としている店は、ビアホールと呼ばれる。一般の居酒屋よりも開放的に作られていることが多く、屋外で営業されるものはビアガーデンと呼ばれる。
かつての居酒屋は、看板代わりに赤い提灯を店先に掲げていたことが多かったため、居酒屋を「赤提灯(あかちょうちん)」と呼ぶ人はいまだに多い。同様に、縄で作った暖簾を入り口に下げていた店が多かったことから、「縄暖簾(なわのれん)」と呼ぶ人もいる。近年のチェーン店化された居酒屋をこれらの名前で呼ぶ人は少ない。むしろ昔ながらの居酒屋をチェーン店と区別するときにこれらの名前を使う。
キシラン ノート ローズ マッハ リボ デリバラ 田舎国 ゴマナ ゲート フォトモ ザンス カッコー コッチ チリン シャー タジーン メーカ ディング モード アップ クロゼ レイオ モラトリ ダイキリ サイリウム レセプト クオリア ロトロン シーラーズ プルマン タリフレ ハッチ カップ ブローシャー オレキシン タバーン ノード ビッシング ヒットラー タッチ きくま 深呼吸 ゾディア はつう パラコート マスコ 和銅 しちの トラック ビヨウ

文化 [編集]
現在は老若男女を問わず利用されているが、かつては居酒屋は主に男性会社員や肉体労働者の大衆的な社交場として機能していた。これが日本の文化に与えている影響も少なくない。 歌謡曲の題材として取り上げられることが多く、特に演歌で居酒屋の情景が歌われることが多い。 また、日本映画の舞台として取り上げられることもある。

小説「居酒屋兆治」(山口瞳) - 居酒屋を営む、まっすぐにしか生きられない男を描いた作品。高倉健主演で映画化もされた。
歌謡曲「居酒屋」- 五木ひろしと木の実ナナが歌い1982年に流行した。いまでもカラオケでよく歌われている。
歌謡曲「居酒屋サンバ」 - 南かなこが歌い2003年に流行。居酒屋のメニューが出ることで有名。
映画「居酒屋ゆうれい」- 1994年に渡邊孝好監督により映画化された。同年のキネマ旬報日本映画ベストテンに入った。
落語「居酒屋」- 酔っぱらい客が居酒屋で働く小僧をからかうという噺。
また、海外でも居酒屋(に相当するもの)を題材とした文芸作品などがある。

小説「居酒屋」L'Assommoir (エミール・ゾラのルーゴン・マッカール叢書)
定番メニュー [編集]
居酒屋は様々な形態のお店があるが、「居酒屋といえばたいていこれは提供している」という、「定番メニュー」がある。主なものを下に列挙する。

酒類 [編集]
日本酒
ビール
焼酎
サワー
チューハイ
ワイン
ウイスキー
ホッピー(主に関東地方)

料理 [編集]
おでん
焼き鳥
冷や奴
枝豆
刺身
唐揚げ
どて焼き(関西ではポピュラー)
漬け物、キムチ
乾きもの(柿ピー、さきいかなど)
塩辛
煮込み
もつ(ホルモン)料理(もつ煮込み、酢もつ、ホルモン焼き、もつ鍋など)
豚足
牛スジ肉料理

突き出し、お通し [編集]
店に入って酒を注文すると、他に何も頼んでいなくても小皿や小鉢に入った一品料理が出てくるケースが多い。これは「お通し」もしくは「突き出し」と呼ばれるもので、最初の注文が入ってから客に出すまでの時間をつなぐためのものである。この他「口取」とする店もある。予め作っておいてすぐに出せるもの、あるいは前日の残り物などを上手く処理して出す。枝豆や、前日は刺身で出していた魚を、煮付けにして出すなどはその例である。関東ではお通し、関西では突き出しという所が多いようだが、両者で全く正反対の言葉を同義語として使っているところが興味深い。

突き出しの目的を考察すると、突き出しは酒を飲ませるためのつまみであり、注文した料理が届く前に客が酒を 飲むことで酒の売り上げを増やす目的もあり、客への便宜と言うよりは店の便宜である場合も多い。一部の店では客が「店に入る条件である」として突き出しを拒否できないと強要しする場合があり、また中には、極めて高額な品を出して「ぼったくる」こともあり、違法であるとして裁判にまでもつれ込むこともしばしばある。特に一般的でない日本のこの片寄った「慣習」を知らない外国人観光客とのトラブルが多い。

最近では、このお通しを拒否可能としている店もあるが、それの如何に関わらず、席料などの名目で客の注文した額に多少かさ上げした額の支払いを必須とする店も大手チェーン店の一部などに見られる。いずれの場合も、その料金システムは、メニュー等の書類の目立たない箇所に記されるのが一般的である。

一方で、熊本県熊本市のある居酒屋では、420円で大量の突き出しを出す。その店は、「ナニコレ珍百景3時間スペシャル・史上最強!驚きのニッポン衝撃風景グランプリ!!」(2008年10月放送)で、「止まらない突き出し」というタイトルで紹介され、珍百景に登録された。ちなみに、取材時における突き出しの品数は14皿、突き出しの価格は420円、ビール(ジョッキ)が500円なので合計920円であった。[1]このような事例も一部存在する。

2009年03月14日

ギマランイス

ギマランイス(Guimarães)は、ポルトガル北西部・ブラガ県にある地方都市であり、「ポルトガル発祥の地」と称される町である。ポルトガル初代国王・アフォンソ1世がギマランイスで誕生したことに由来する。

地方自治体としてのギマランイスは、2001年、16の行政区を合併し、5万人が新たにギマランイス市民となった。その結果、面積241.3平方キロメートル、人口161,876人の地方自治体に発展した。

エスプレッソ紙による調査で、ギマランイスは、ポルトガルで2番目に住みよい環境の町であると評価された。

2012年の欧州文化首都になることが決定している。
マルバタ クロスレ シュール しばざくら アスク たいざん ロスカ チーズ 白爵南瓜 モルガ ユーボ 冬の星座 ライオン いろはに ピーク ハスカ リッペ リーズ ダイヤ 雪の駅 マネタ ファース グラス おくやま スピンオフ スカッド レンジャー レジスタ バルキー 寄居かぶ メキシコ へきぎょく ダージジ パサク はま スティン つるむら 京野菜 コリンズ プール ギミッ デカル マンネリ ハイガイド トークッシ ロンティー サイトバラ メガ最適 ミズム どうちゃく

868年に、最初のポルトガル伯国を建国したヴィマラ・ペレス伯爵の名前にギマランイスの名前は由来する。ポルトガル最初の首都であり、「ポルトガル揺籃の地」として知られる。1095年に、レオン王国のテレサ王女と結婚したエンリケがポルトゥカーレ伯国を建国した。1109年6月25日、エンリケの息子であるアフォンソ・エンリケスがギマランイスで生まれた。サン・マヌーデの戦いの後、ポルトガルはレオン王国からの独立を宣言し、後に初代国王アフォンソ1世となる。

経済 [編集]
ギマランイスは、ポルトガルの中でも随一の工業都市であり、主要産業は、織物、靴、金属機械である。

世界遺産 [編集]
2001年、「ギマランイス歴史地区」の名前でユネスコの世界遺産に登録された。中世以来の歴史的建造物が評価された。

ギマランイス城(pt:Castelo de Guimarães):10世紀に建てられた古城。アフォンソ1世はこの城で生まれた。28mの高さの塔を持つ。
サン・ミゲル教会(pt:Igreja de São Miguel do Castelo):ギマランイス城の下にあり、12世紀に建てられたロマネスク建築の教会。
ブラガンサ公爵館(pt:Paço dos Duques de Bragança):ジョアン1世の息子で初代ブラガンサ公爵となったドン・アフォンソによって建てられた。15世紀の建築物であり、フランス・ブルゴーニュ地方の影響を受けている。
ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会(Igreja N. Sra. da Oliveira):ロマネスク建築とゴシック建築が融合した教会であり、教会前のアーチはサラードの戦いの戦勝を記念して、1342年に建てられた。
アルベルト・サンパイオ美術館(Museu Alberto Sampaio):ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会の修道院部分を利用した美術館。13世紀ロマネスク建築の回廊を持ち、回廊の周りには展示室がある。

2009年02月26日

いかなる生物の始祖でもないアンデッドであり

いかなる生物の始祖でもないアンデッドであり、バトルファイトにおいてもイレギュラーな存在とされている。外観はカミキリムシに酷似しており、腰部には他のアンデッドの〈アンデッドバックル〉ではなく、バックル部分に〈スラッシュ・リーダー〉が設けられたベルト型カードリーダー・〈ジョーカーラウザー〉が装備されている。基本カラーは黒と緑。他のアンデッドをモノリスもカードも必要とせず封印でき、ジョーカーラウザーによりその姿と能力をコピーする能力を持つ特殊な個体。戦闘能力も他のアンデッドとは比べものにならない程高く、性格も極めて残忍。

バトルファイトにおいてこのジョーカーが勝者となった場合には、ジョーカーの肉体やモノリスからダークローチと呼ばれる怪生物が無数に出現、地球上の生物が全滅するとされている。そのためジョーカーはバトルファイトを影で支配する残酷な殺し屋として、他のアンデッドからも恐れられ忌み嫌われていた。1万年前のバトルファイトでは、ヒューマンアンデッドに敗北し封印される。ジョーカーが♥2『SPIRIT』を用いてヒューマンアンデッドの姿に変身した姿が、相川始=仮面ライダーカリスである。解放された後は本能の命ずるまま他のアンデッドを次々と封印していき、そんな中ヒューマンアンデッドを偶然発見し封印した。しかしヒューマンアンデッドがカードからジョーカーの精神に働きかけた事で、ジョーカーは自分の行動と運命に疑念を持つようになっていった。また、剣崎もキングフォームを酷使した結果、肉体がアンデッド化し、最後には新たなジョーカーとなった。 劇場版には亜種である「アルビノジョーカー」が登場した。

ダークローチ
バトルファイトにジョーカーが勝利した場合に無数に生み出される怪生物。ゴキブリに酷似しているが、ジョーカー同様どの生物の祖ではないイレギュラーな存在。地球上の全生物を死滅させる事を使命としており、それを達成するまでは限りなく誕生し殺戮を繰り返す。アンデッドではない(アンデッドサーチャーは反応する)ため、倒すことは可能。映画版にはアルビノジョーカー同様に「アルビローチ」も登場した。

改造実験体(トライアルシリーズ)
アンデッドの細胞と人間のデータや細胞を組み合わせて人工的に作り出された、不死の実験体。通常のアンデッドを遥かに凌ぐ戦闘能力を持ち、剣崎を追い捕らえる事を使命とされている。過大なダメージを受けると腰部のバックルが展開し、一時的に活動を停止するが、封印することはできず短時間で再生してしまう。ゆえにその活動を完全に停止させるには、強大な威力を持つ技(劇中では、ロイヤルストレートフラッシュやワイルドサイクロン)でその肉体を完全に消滅させる必要がある。殆どのデザインは昭和ライダーの首領のオマージュ。広瀬義人と、彼が愛娘・栞を守らせるために作り出した改造実験体・トライアルBによって開発された。しかしトライアルBは記憶データを改変され、天王路の計画に利用される事となった。結果トライアルBは永遠の生命の謎を解くために、改造実験体を次々と差し向ける事でブレイドをキングフォームにするよう仕向け、アンデッド化し研究材料とするために動く。

合成アンデッド
複数のアンデッドを、モノリスの力を借りて人工的に合成することによって生み出した存在。合成前のアンデッドの個々の容姿を半分ずつ継ぎ合わせたような容姿(アンデッドバックルが2つある)をしており、個々の能力を総合的に持ち合わせている。劇中ではカメレオンアンデッドとスコーピオンアンデッドを合成したティターンが登場した。

人造アンデッド
改造実験体と合成アンデッドの技術をもとに、複数のアンデッドのデータと細胞を人工的に融合して作り出したカードを作製、モノリスの力でアンデッドとして具現化させた存在。改造実験体と違い、アンデッドであるためカードによる封印が可能。非常に高い戦闘能力を誇り、他のアンデッドを封印し吸収する能力を持つ。天王路によって5枚目のAのカードからケルベロスが作り出され、具現化したケルベロスをカードに封印する事で、天王路とケルベロスはケルベロスIIとして融合を果たすことが可能となった。

ラウズカード
アンデッドは不死のため、ラウズカードと呼ばれるカードに封印される。ラウズカードには大きく分けて3種類のものが存在する。
フェルト オレキ マッチ キャム プロポ オオセンナ パドルボ ダカー 国道18号線 ストー ヤン サンゴ ウェー ジグラート ないえ ショルダ イチゴ マリネ シュラフ デュポン ジェイペグ 古時計 スペクト ビージ レベル ゲッケイ カーン マエスト ツルウ オギジ レアメ スキーマ ネオジム ラズライ トリトマ ビレイ きあか スフィン レザー ジャムウ ファイ ファクト オキナグ ハイクラ ケフェウ ペクシ スノー チェンジ スケイ ダカール

プロパーブランク・プライムベスタ
4種のスートに分かれ、それぞれA - Kの13枚が存在する。アンデッドが封印される前のカードを"プロパーブランク"、アンデッドが封印されたものを"プライムベスタ"と呼ぶ。各ライダーは特定のスートのカードを1セットずつ持っており、ライダーの持つラウザーにプライムベスタを通すと様々な効果を発揮する。プロパーブランクは、封印されるべきアンデッドと対峙すると発光し、相手がどのカテゴリーなのかを知ることができる。ラウザーとプライムベスタのスートが異なる場合であっても、プライムベスタの効果は発揮される。

コモンブランク・ワイルドベスタ
スートやカテゴリーの決まっていないカードであり、アンデッドが封印される前のカードを"コモンブランク"、アンデッドが封印されたものを"ワイルドベスタ"と呼ぶ。手持ちのプロパーブランクとスートが適合しないアンデッドを封印するような場合に用いられる。封印できるアンデッドがあらかじめ決められているプロパーブランクとは異なり、スートやカテゴリーを問わずにアンデッドを封印できる便利なカードであるが、アンデッドを封印したワイルドベスタは「封印されているアンデッドと対応するスートを持つラウザーでしか使えない」という点でプライムベスタに劣る。封印されているアンデッドと対応するスートを持つラウザーを一度通すことでカードにスートが加わり、ワイルドベスタからプライムベスタへと変化させることができる。

ギルドラウズカード
ブレイドがキングフォームになると同時にスペードスートのプライムベスタが変化したもの。表面はゴールドでコーティングされ、絵柄も若干変化し、カテゴリー2 - 10のFP/MP値が上昇している。

ラウザー
仮面ライダーはラウザーと呼ばれる覚醒機を持っている。ラウザーにはカードリーダーが内蔵されており、アンデッドの封印されたラウズカードを通すことによってアンデッドの能力を引き出し、ライダー自身の身体能力や武器能力を向上させることが可能。これに加えてブレイドとギャレンのラウザーには2 - Kのラウズカードをすべて格納することができるホルダーも内蔵されており、戦闘時においては必要に応じてホルダーを展開、すぐラウズカードを使用できるように配慮された構造になっている。

2009年02月09日

小野 妹子(おの の いもこ、男性、生没年不詳)

小野 妹子(おの の いもこ、男性、生没年不詳)は、飛鳥時代の政治家。姓は臣。子に小野毛人[1]。『日本書紀』によると第2回遣隋使として隋に派遣され、大禮(冠位十二階の位)蘇因高と呼ばれた[2]。日本の通説では『隋書』が記録する「日出づる処の天子」の文言で知られる国書を携えた使者は小野妹子とされる。「妹子」であるが 男性である(当時は「子」が男女問わずに用いられた)。

近江国滋賀郡小野村(大津市)の豪族小野氏の出身[3]。
しょうや ムンバ イルラ 永遠の約束 ブースター サルフ 享禄 きんちゃく パンダル マネタリ アップ アート フラゲ ニュース 星かげ 月の宮 スタジ 野の花 リミット トラック 日本海 ケーソ ブラワサ じょうるり レビュー 未来世紀 ビッドレ オーバ ストーンカメ 女峰 ブッファ シャリン セイシェル ファイ シング スチーム ティグ バトル ストップ レーダー オーパーツ ブイエ デデリ ギブアップ ピラー 時計台 タネソウ サーチカヤ タイミ レジュ

大和の葛城氏直系の女子を生母ともつ。古来は生母の地位より最初の冠位が決まっていた習慣があり、近江国より大和朝廷に仕えることができた[要出典]。

『日本書紀』(巻第二十二)によれば、推古15年(607年)、推古天皇の摂政を務めていた聖徳太子の命により、第2回遣隋使として鞍作福利らと隋に渡る。推古天皇16年(608年)に裴世清を伴って帰国、ただし煬帝の返書は帰路に百済において紛失し、(紛失に関しては諸説あり、とても見せることが出来る内容ではなかったからであるとする説もある)一時は流刑に処されるが、恩赦されて大徳に昇進。 翌年には隋への返書と裴世清の帰国のため、第3回遣隋使として高向玄理、南淵請安、旻らと再び派遣された。

『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」には、大業三年(607年)、皇帝煬帝(ようだい)が激怒したことで有名な 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや(「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」)」との文言がある[4]。『隋書』には国書を持参した者の名前の記載はなく、ただ使者とあるのみである。

小野妹子は「華道の祖」とされることがある。

小野妹子墓は大阪府南河内郡太子町科長神社(しながじんじゃ)南側の小高い丘の上にある。

小野妹子公園(滋賀県大津市小野)そばの唐臼山古墳(からうすやまこふん)[6]を小野妹子の墓とする説がある。唐臼山古墳南方の古墳は妹子の父[7]の墓である可能性が指摘されており、大津市教育委員会による事前調査が行われたものの破壊され現存しない。

小野妹子墓
よくある誤解
古代の日本の人名の最後に「~子(あるいは古)」と付ける表現は男性名についても珍しいものではなかったが、現代の日本では「~子」は女性名の最後に付ける文字の定番となっている。このため、現代において小野妹子を女性であると勘違いする日本人が意外と多い。また、「妹」という字が使われているのも誤解を助長する原因と言える。

例えば、タレントの井上聡(次長課長)が「世界三大美人に入っている日本人は?」という問いに「小野妹子」と答えたことがあった(本当の正解は小野小町。ちなみに、小町は妹子の末裔とされている)。また、この誤解を利用した東京ガスのテレビCMにおいて、ギャグ的設定で「女性の妹子」として酒井若菜が出演。誤解をさらに広めてしまうのを防ぐ配慮としてか、共演の妻夫木聡に「小野妹子って男じゃ……」「(本当は男性なのに、女性であると)歴史を曲げるなよ……」とツッコませている。CM開始当初には無かったが、当該CMの冒頭に、字幕で「※実際には男性です」なる注釈も併せて表示していた。

ただし、どうして“妹”の字を使ったのかは、誰も明確な答をだしてはいない。妹は、かつては「いも」と読み、男性からみた同腹の女性の他、恋人や妻などの親しい女性全般を指す言葉であった。

^ 小野妹子の子である小野毛人の墓は江戸時代に京都市左京区上高野の崇道神社裏山で発見され、石室から墓誌(国宝 金銅小野毛人墓誌)が発見されている。
^ 『日本書紀』巻第二十二推古天皇十六年には「唐国号妹子臣曰蘇因高」とある。
^ 小野氏は和珥氏の同族。小野氏の人物として小野岑守、小野篁、小野道風、小野小町など。
^ 『日本書紀』は随を大唐国と記し、国書の内容(「日出處天子・・」)を記録していない。
^ 京都市の紫雲山頂法寺(本堂の名から通称「六角堂」)の本坊にあたる池坊(聖徳太子が沐浴した池(泉)にちなんだ名)の僧侶は六角堂の本尊如意輪観音に花を供えていた。池坊の始祖は小野妹子と伝えられることから、小野妹子は華道の祖とされることがある。
^ 埋蔵文化財学習シート 唐臼山古墳(からうすやまこふん)
^ 『尊卑分脉』、『諸家系図』は小野妹子の父を敏達天皇の息子、春日皇子としている。『新撰姓氏録』は小野朝臣を皇別とする。

2009年01月24日

美濃和紙

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美濃和紙(みのわし、Mino-washi - Japanese paper)とは岐阜県で製造される和紙である。

1985年(昭和60年)5月22日に、通商産業省(現経済産業省)伝統的工芸品に認定されている。

寺尾(現在の岐阜県関市寺尾)で生産される和紙が特に有名で、『和漢三才図会』では障子用の書院紙、包み紙、灯籠用として使用していたと記し、『新撰紙鑑』では徳川幕府御用の製紙職人として、市右衛門、五右衛門、平八、重兵衛の名を挙げている。

また、寺尾の他にも牧谷、洞戸、岩佐、谷口で生産される物も良品である。当然ながら、産地毎に製紙に使用する水が異なるため、生産された和紙の風格もそれぞれ異なるほか、得意とする種類も産地によって異なった。

書院紙
『岐阜県史稿』によれば、二折、三折の美濃和紙があり、障子の格子幅に合わせてそれぞれ使用されていた。

絞書院紙
紋書院紙とは、透かし文様入りの書院紙であり、美濃の他、筑後柳川や肥後でも生産され、肥後産のは特に透かしが綺麗であった。

美濃の紋書院紙は、鹿子・紗綾形・菊唐草・七宝 ・亀甲などの紋様を漉き込み、障子以外にも灯籠用に使用された。

21世紀現在、岐阜市で生産される落水紙(美光紙)にも、紋書院紙風の物がある。

紋天具帖
紋天具帖とは、極薄の天具帖紙に透かし紋様ではなく、胡粉などで木版摺りした物で、後に型染めで捺染するようになったが、やはり光を漉かして紋様を浮かび上がらせる物で、灯籠用として使用された。

奈良時代・平安時代
美濃国は、奈良時代から製紙が盛んで、良質の紙を生産していた。

平安時代には、朝廷から製紙用の役人が派遣されて、宣命紙等の色紙や公用紙を生産した。

鎌倉時代・室町時代
鎌倉時代初期には美濃和紙は余り使用されていなかったが、南北朝の動乱や応仁の乱によって利用者の懐事情が悪化した結果、安価な美濃和紙が使用されるようになった。

美濃国守護である土岐氏は富国強兵のため、産業開発を促進し、製紙業を後押しした。そうして大量に生産された美濃和紙は文化人の多い土岐氏を慕って来訪した公家、僧侶によって日本各地に伝播され、その後は京都宝滋院を拠点とする近江枝村の商人によって流通した。

江戸時代
江戸時代になると、専売制度の下に特産地として育成され、また、町人層の需要拡大によって大量生産され、特に障子紙として使用されるようになり、美濃判として障子の規格となるに至り、「みの」と言えば障子のことを指すようにまで普及した。因みに、すだれは伊予が、疊は近江が代名詞となった。

養女奴隷
養女奴隷とは、製紙のために少女を幼少時に養子にして、製紙作業をさせる制度である。戦前の製紙は朝の4時から夜の10時まで作業する厳しいものであり、しかも製紙業は家族だけの零細経営が多く、働き手が足りないためにこの制度が生まれたのである。なお、奴隷と言っても、実の娘と区別することはない。もちろん現在はこの制度はなく、そのために後継者難に陥っている。

紙問屋
美濃では和紙の原料を余所から輸入して生産していたため、様々な原料を使用して製紙が行われ、必然的に製紙技術が向上したが、その反面、原料を輸入し、完成した和紙を輸出する紙問屋に強く依存する生産者にとって不利益な経済体制を採らざるを得なかった。製紙業の家庭の養女は養女奴隷と呼ばれていたが、製紙業の家庭も紙問屋の奴隷であった。

現代では、製紙業は巨大な製紙メーカーとして問屋を圧倒し、力関係は逆転したが、伝統的な和紙は現在も零細経営の和紙職人の手によって生産されている。

美濃和紙と岐阜の伝統工芸
江戸時代以降、長良川を利用した運輸により長良橋たもとの地域は長良川の重要な港町となり、奥美濃から美濃和紙などの陸揚げが多く、それを扱う問屋町として栄えた。良質な和紙「美濃和紙」を得た岐阜では、岐阜の工芸品である岐阜提灯、岐阜和傘、岐阜うちわが生まれた。美濃和紙は岐阜の伝統工芸には欠くことのできない物である。この問屋町は奇跡的に戦中の岐阜空襲を逃れることができたため現在川原町界隈として整備され、鵜飼観光などで訪れた人々で賑わっている。

2009年01月17日

リディア

リディア(Λυδία Lydia リュディア、紀元前7世紀 - 紀元前547年)は、古代のアナトリア半島 (現在のトルコ) で栄えた王国。中心都市はサルディスであり、世界で始めて鋳造貨幣を導入したことで名高い(エレクトロン貨)。

紀元前7世紀にアナトリア高原で最も優勢となり、イラン高原のメディア王国と争った。紀元前560年に即位したクロイソス王は、西にエーゲ海沿岸のギリシア植民都市を征服し、東の国境となっていたハリス川を越えて東アナトリアに進出して、メディアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシアのキュロス2世と戦った。
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紀元前547年、キュロス2世率いるペルシア軍は、リディアの王都サルディスを占領してクロイソスを捕虜とした。これによりリディアはペルシア帝国の一属領となった。

リディア王国に関する主要な記録はヘロドトスの『歴史』であり、それには伝説的な王朝の交替やギュゲス王に纏わる言い伝えが記録されている。他にホメロスの叙事詩や、幾つかの古代ギリシアの記録の中にリディアに関わる情報が残されている。19世紀以降、近代的な発掘調査が行われるようになると、リディア王国の繁栄を裏付ける数々の発掘品が発見されたことによって史料は増大している。

ただし、リディア王国に関する考古学的調査はアメリカのプリンストン大学発掘調査隊が主導した首都サルディスの調査を除けばあまり目ぼしい結果は得られておらず、サルディス遺跡における発見もローマ時代の物は豊富であるが、リディア王国時代の物は数量的に限られ、歴史記録の類もあまり発見されていない。

その他国外における貴重な史料としてはアッシリア人が残した楔形文字文書の中にリュディアに関わる外交記録が含まれるものがあり、同時代史料として極めて貴重である。特に伝説的な王ギュゲスはアッシュールバニパル王の残した年代記にルッディ王グッグとして登場することから実在が確実となった。

また貨幣も発見されているが、いずれも強くギリシアの影響が見られるもので最初期段階の貨幣については発見されていない。

歴史

初期の王朝交代
リディアはホメロスの詩には「メイオン人の地」として知られ、ヒュデ市を中心として興ったと伝えられる。ヒュデ市は首都サルディス(リディア語:スファルト、アッシリア語:サバルダ)のアクロポリスの名前、あるいは旧市の別名と言われる[1]。リディアの興起は、東隣の大国フリギアと西のギリシア世界との間に位置するという交易上の優位性と、領内で金が産した事が大きな要因であった。

ヘロドトスの記録によれば、リディアではまずアテュスの子リュドスから始まるアティス王朝があり、「リディア」と言う国名はこのリュドスに由来し、それ以前のリディア人はマイオニア人と呼ばれていたという。その後神意によってヘラクレスと奴隷女を祖とするという一族(以下、ヘラクレス家)のアグロンがサルディスの王となり、以後22代、505年間にわたりヘラクレス朝がリディアを統治した[2]。

このヘラクレス家の最後の王であるカンダウレスは、自分の妻をあらゆる女の中で最も美しいと信じており、それを他人に自慢しようとした。そしてメルムナス家のダスキュロスの子ギュゲスに妻の自慢をしたが、ギュゲスが信じようとしないように見えたので、妻の寝所に忍びこんでその裸体を見るようギュゲスに強要した。ギュゲスは拒否しきれず指示通り覗き見を行ったが、寝所から出るところを妻に見つかってしまった。妻はギュゲスの除き見が夫であるカンダウレスの指示によるものである事を察し、夫への復讐を誓った。そして妻はギュゲスを呼び出し、カンダウレスを暗殺して自分とともにリディアを支配することを指示した。ギュゲスは躊躇したが、妻は彼に対して覗き見を行った罪を問われて死ぬか、自分とともに国を支配するかと脅した。そのためギュゲスはカンダウレス暗殺を実行し、カンダウレスの妻を自らの妃としてリディアの王となった[3]。

カンダウレスの殺害とギュゲスによる簒奪が周囲に知れるとリディア人達はこれに反対して武装蜂起を行ったが、ギュゲスは神託が自分の王位を認めたならばギュゲスがリディア王となること、そうでない時は王位をヘラクレス家に返還することを提案して武装蜂起側と合意した。そして神託の結果ギュゲスの王位が認められたのでギュゲスの一族に王位が移ったという[4]。これをメルムナス朝と呼ぶ。

以上がヘロドトスが『歴史』の冒頭に乗せている初期のリディアの歴史である。極めて伝説的であるが、初期リディアについての殆ど唯一のまとまった記録であるため、必ず参照されるものである。

キンメリア人の侵入と撃退
ヘロドトスによればギュゲス王は、フリギアのミダス王以後デルフォイに奉納した最初の外国人であり、38年間の治世の間にミレトスなどイオニアのギリシア人都市を攻撃したが、他に特筆すべき業績は無いとして記述を終えている[5]。

このギュゲス王はアッシリアの王アッシュールバニパルが残した年代記、『ラッサム円筒刻文』に登場することから実在が確実視されている。それよればアッシュールバニパルの治世第3年目(前666年頃?)にルッディ王グッグ(即ちリディア王ギュゲス)から使者があり、彼の王国にギミライ(キンメリア人)の侵入があったことを伝えてきた。アッシリアの支援によってギュゲスがキンメリア人に勝ち、捕らえたキンメリア人の族長2名を貢物とともにアッシリアに送った。

しかしギュゲスはこの勝利によって自信を持ちアッシリアへの貢納を打ち切ったばかりか、アッシリアと敵対していたエジプトの王プシャミルキ(プサメティコス1世)と同盟を結んだので、アッシュールバニパルは逆にキンメリア人と同盟を結んでリディアを征服させた。そして敗死したギュゲスの子が王位を継承すると、彼は父親の「悪事」を謝罪して再びアッシリアに跪いて服従を誓った[6]。

以上がアッシリアのリディアに関する記録である。このキンメリア人によるリディア征服はヘロドトスの記録にも記述があり、彼はギュゲスの子アルデュスの時代にアクロポリスを除いてサルディス市全域がキンメリア人に占領されたと伝えている。ただしアッシリアとの同盟については言及が無く、キンメリア人の侵入はスキタイ人によってキンメリア人が元の土地を追われたためであるとしている[7]。この時代のアナトリアにおけるキンメリア人の移動はかなり大規模なもので、同時期にウラルトゥ王国やフリギアもその攻撃に晒されており、ウラルトゥは滅亡、フリギアも首都ゴルディオンを破壊され、エフェソスやマグネシア等の都市や、シリア地方などでも侵略が行われた記録がある。

アルデュスの後、その子サディアッテス、ついでアリュアッテスが王位を継いだ。アリュアッテスはその治世の間にキンメリア人を駆逐し、スミルナを占領するなどして勢力を拡張した。またミレトスへも攻撃を行っており、その戦争中に行われたリメネイオンの戦いとマイアンドロス河畔の戦いによってミレトス人に大損害を与えたと伝えられる[8]。

また東方からは新バビロニアと共同でアッシリアを滅ぼしたメディア王国がその余勢を駆ってリディア王国に侵入したが、戦闘中に発生した日食(前585年5月26日)に両軍が恐れおののいたためにハリュス川を国境とする合意を結んで休戦した。

アケメネス朝の支配
アリュアッテスの跡を継いだのがクロイソスであった。彼は様々な理由をつけてエーゲ海東岸のギリシア人都市を攻撃してほぼ全域を征服した。これによってリュキアを除くアナトリア半島西部の殆どの地域がリディア王国の支配下に入る事になった。

クロイソスはイオニア人をはじめ、各地のギリシア都市国家と密接に関わったらしく、エーゲ海島嶼部のギリシア人都市との艦隊建造に関わる交渉や、アテナイ人ソロンとの対話、フリギア王家の末裔というアドラストスとの交流、クロイソスによるデルフォイへの奉納など多岐にわたる説話がヘロドトスによって伝えられている[9]。

クロイソスの時代、リディア王国は軍事的にも経済的にも富強を極めたが、アケメネス朝のキュロス2世が東方でメディア王国を滅ぼすとクロイソスはこれに憤り、新バビロニアのナボニドゥスやエジプトのイアフメス2世、スパルタ等と同盟を結んでアケメネス朝の支配するカッパドキアに侵攻した。

クロイソスの攻撃を知ったキュロス2世もエクバタナから軍を進め、前548年5月に両軍はプテリアで最初の戦闘を行った。この戦いで両軍とも多大な損害を出したが勝敗が付かず、日没とともに引き上げた。翌日に戦闘が行われなかったため、クロイソスはサルディスまで引き上げると、今年中の戦闘は無い事を予想[10]して一旦傭兵を解散した。そしてエジプト、バビロニア、スパルタに来援を要請し、翌年に再度の攻勢をかける計画を立てた。

しかしキュロス2世はクロイソスの意表をついて冬のうちに進軍する作戦をたて、前548年のうちにサルディスに到達した。予想外の攻撃を受けたクロイソスであったが、手元に残っていたリディア兵と、エジプトから借りた重装歩兵を中心とする軍を率いて迎撃に向かい、サルディス近郊のテュンブラ平原で両軍の戦闘が行われた(テュンブラの戦い)。ペルシア軍はリディアの騎兵に対してラクダ騎兵を持ってあたり、リディア騎兵の馬はラクダの臭いを嫌って逃走してしまったという。それでもリディア兵やエジプト兵は勇敢に戦ったと伝えられるが、結局敗れてサルディス城内へ逃げ込んだ。

サルディスはペルシア軍に包囲され、激しい戦闘の後に陥落した。クロイソスはペルシア軍によって捕らえられ、ここにリディア王国は滅亡してその領土はアケメネス朝の属領となった。首都サルディスはその後アナトリアにおけるアケメネス朝の最大の拠点となる。